御祭神
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鐸石別命
第11代垂仁天皇の皇子で和気氏の始祖。
弟彦王
鐸石別命の曾孫で神功皇后の三韓征伐の際、反乱をおこした忍熊王を和気関で平定し藤野県(現岡山県和気郡)を与えられ土着した。
佐波良命・伎波豆命・宿奈命・乎麻呂命
和気氏の先祖で備前美作両国の国造。国造神社として別に祀られていたが、のちに合祀された。 -
和気清麻呂公
天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれる。奈良の都に武官として出仕、近衛将監となる。神護景雲3年、僧道鏡が皇位を望むとき、宇佐八幡宮(現宇佐神宮)に勅使として詣で、神託を受け復奏、その野望を阻み国家の危機を救った。
その後、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として長岡京の造営、摂津・河内両国の治水工事に当たった。延暦13年(794)和気清麻呂公の建言により平安京に遷都。造営大夫として新京の建設に尽力した。
また、和気清麻呂公は、備前美作両国の国造を兼ね、延暦7年、和気郡の河西に新しく磐梨郡(現赤磐市)を独立させ、農民の便宜をはかった。日本後紀には「人と為り高直にして、匪躬の節あり」「故郷を顧念して彼の窮民を憐れみ、忘るることあたはず」と称えられている。延暦18年(799)に67歳で没した。 -
和気広虫姫
天平2年(730)に備前国藤野郡に生まれる。高謙上皇(後、重祚して称徳天皇)に仕え、勅を伝宣する女官を務めた。上皇に従い剃髪し、法均と号した。天平宝字8年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を懇願して死刑を流刑に改め、乱後の孤児83名を養子として育てた。これはわが国最初の孤児院の開設である。日本後紀には「人と為り貞順にして節操に欠くる無し」「未だ嘗めて法均の、他の過を語るを聞かず」と称えられ、慈悲深く、清純で心の広い人柄であった。