和気神社について
和気氏の祖先は、垂仁天皇の皇子・鐸石別命である。命の曾孫・弟彦王が、備前・美作に土着し、和気氏は代々この地を治めた。その後裔が、清麻呂公・広虫姫である。
特徴
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本殿・拝殿(町指定文化財)
現存の建物は、明治18年より順次建替えられたことは棟札によって確認できる。明治18年に本殿、明治20年に幣殿・釣殿・拝殿、明治28年に随神門がそれぞれ建立されている。一連の建造物の大工棟梁は、邑久郡の「田淵耘煙斎勝義」である。明治の建築とはいえ、邑久大工の代表的な建築様式であり、装飾彫刻類もすばらしく、和気町指定文化財になっている。 -
「足腰」の神様・開運厄除イノシシ
-狛犬ならぬ 狛亥(こまいのしし)-清麻呂公は「道鏡事件」により大隈国に流された。その途中、お礼のために宇佐八幡宮に参詣しようと豊前国の海岸から陸路、御輿を進められた。すると、どこからともなく、約三百頭の猪が突然現われて、清麻呂公の御輿の前後を守りながら八幡宮までの約十里の道を無事にご案内した(「日本後紀」巻八)。
また、足が萎えて歩けなくなっていたところ、猪に案内され「霊泉」に足を浸けるとたちどころに足がもとのとおり治り、歩けるようになった。以来、猪は清麻呂公の随身、また足腰の守護として崇められ、当社では狛犬がわりに「狛いのしし」が拝殿前・隋神門前で守護する。 -
子供の守り神
-子宝・安産・初宮-広虫姫は孤児83人を自分の養子として育て、立派に世に送り出した。清麻呂公は、私学校「弘文院」の基礎をつくり、子弟教育・人材育成に尽力された。以来、「こもりさま」と親しまれ、「子供の守り神」と崇敬されている。
由緒
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創祀
古くは和気氏一族の氏神として遠祖、鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていた。天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座した。後に弟彦王(おとひこおう)、和気清麻呂公、和気広虫姫を祭神に加え、清麻呂公の高祖父佐波良(さわら)命、曽祖父伎波豆(きはず)命、祖父宿奈(すくな)命、父乎麻呂(おまろ)命を奉祀していた国造神社を合祀した。 -
和気氏由緒
第11代垂仁天皇の皇子、鐸石別命の曾孫である弟彦王は、神功皇后に反逆した忍熊王(おしくまおう)を和気関に滅ぼした功により、藤原県を与えられ土着した。その弟彦王を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄え、その12代後裔が和気清麻呂公・和気広虫姫である。
アクセス
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お車でお越しの場合山陽自動車道和気ICより約10分(和気神社または藤公園の標識が随所にあります)
駐車場:普通車600台(大型バス10台) -
電車でお越しの場合JR山陽本線「岡山駅」~「和気駅」 約30分
JR山陽本線「姫路駅」~「和気駅」 約60分
「和気駅」よりタクシーで約10分 -
住所
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電話番号(0869)93-3910
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FAX番号同上
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Emailinfo@wake-jinjya.com
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授与所開設時間9:00~16:30(授与品・御朱印)
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ご祈祷対応時間9:00~16:00
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お問い合わせ対応時間8:00~17:00